どの道を行くべきか④

父の認知症は進んでいるらしい。

 

昨日食べたものを覚えていることさえ、ほぼないという。

けど、昔勉強した知識は忘れておらず、テレビでクイズ番組があると、かなりの高確率で正解するんだと。

そっかぁ。と母にこたえる。

私は無感動だ。父のそれは、自分の価値を確認する道具だ。

クイズ番組を楽しんでるならいい。でも父はそうじゃない。昔から私は楽しみたかったのだ。言いたいことを言いたかったのだ。

私が言いたいことを言っても、自分より下だと確信が持てていたころは、きっとまだ父にも余裕があったのだと思う。けど、私が一生懸命勉強をして、人並みに知識を得た時、自分と同じレベルにいる私を感じた時、父は議論に走るようになった。私が答えを言うと、問題に関係あるのかないのか微妙な自分のうんちくをおっぴろげ、議論を始めるようになった。あるときなんかは、私が信用していない様子を察して、論文をたくさん読んだと話し始めた。どこのソースで論文を検索したの?ときいたらインターネットだ、といった。ちゃんちゃらおかしくて、ため息が出た。見え透いた嘘をなぜつくのか。

とにかく、議論についてこれない娘を欲しがったのだろう。議論が出来ないのはダメな奴らしい。価値のある会話は、議論だと。私は「会話」がしたかったのに。

 

私はずっと忖度をしていた。そういう風に父が何かに怯えないように。忖度している自分が傲慢であると感じながら、でも事実、忖度が必要である現実を憎んでいた。

どの道を行くべきか③

3年前、母が脳梗塞をした。

突然顔の片側が引き攣ったと言っていた。

そのとき母は、父と言い争いをしていたらしい。何かをなくしても、何かがうまくいかなくても、全て母のせいだ。そして声を荒らげる。意見を聞かなくなる。

いつものことだ。

頭に血が上ったと思ったら、脳が詰まった。

今では軽い冗談で言うけれど、恐ろしいなと思った。

 

その時は私はまだ実家に住んでいて、電話で事の次第を父から聞いたのは仕事中のことだった。たしかラウンジにいた。眼前に広がる街の風景を見ながら、ああ、私もそんな年なんだなとぼんやりと嫌な気分を受け止めていた気がする。

ひとまず帰りに医療センターに車を走らせた。

 

医療センターにつくと、ちょうど父も待合室で検査の終了を待っていた。

すぐ後に看護師さんが駆け寄ってきて、母の脳関係の既往歴を聞かれた。

父はないと即答した。

「そんなわけあるか」と思った。母は父に突き飛ばされて頭を負傷し、脳の浮腫により1か月入院した過去がある。ちなみに父は私がその過去を知っていることを知らない。母からあなたにだけ、と聞いたのだ。ちなみにそんなことを私に話す母にも幻滅したものだ。「娘なんだから」「聞いてあげればいいのに」他人はそう思うのかな。

 

力が抜けた。でも私は何も言わなかった。

そこで私が暴露したことで引き起こされる、余計な父の感情の台風に巻き込まれるのが嫌だった。後になって看護師さんにひっそりと告げ口をした。

でもわからない。事実、めんどくさいけど、本当は父が怖いのかもしれない。

幸いなことに、母の予後は悪くはならなかった。

 

どの道を行くべきか②

思い出すのは、6才のときのこと。

祖父が死んだときだ。

父は私を見下ろし、「愛してる」といった。

 

 

父の父、祖父は長崎の島にいた。町議会議員を長く勤めた人で、賞ももらっていた。酔って崖から落ちたという祖父は、片目がなかった。義眼の気味の悪さに、とうとう私は祖父に最後まで近寄らなかった。

私をみて、私の名前を呼び、遠慮がちに手を伸ばした様子が、まるで絵のような、残像のような、そんなおぼろげな光景が脳裏にある。

もう一つある。

対馬の居住していた家から離れて、坂を上った山の中、古ぼけた木造の小屋があって、小屋というよりは倉庫といったような佇まいで、祖父はそこで一人ビールを飲むのが好きだった。明るい青い、セルリアンブルーのうすぼけた屋根。白さがかすれて木目がむき出しになったぼろぼろの壁。

広い前庭は、雑草が私の背丈より高く、草生していた。小屋まで続く石の道すら、見えない。虫が大嫌いだった私は、泣きながら父にしがみつき、小屋でたどりついて、作務衣の祖父を見ていた。

 

 

全部全部遠い昔の光景。

父は祖父を崇拝していた。

父が愛しているといったとき、私は気味が悪かった。当時はそんな気味悪さを、気味悪さだと自覚していなかった。変なの、そう思って、なかったことにしただけだ。

祖父もまた、公衆の面前で妻に手を挙げるような人だったと聞いたのは、つい最近のことだ。

どの道をいくべきか

伯父が死んだ。

 

お茶のついでに母から香典返しを受け取る。私は告別式には出てない。

会葬礼状には華々しい経歴が書かれていた。医学に邁進していたこと、晩年は孫に恵まれ、趣味に没頭していたこと。なんてすばらしい人生だろう。誰も文句がつけられない、これぞ、といった人生だ。

 

今の時代、これだけの人生を送れる人は一体どれほどいるのだろう。そう思う時点で私は小人物か。

自分の人生に価値を感じたり、素晴らしかったと思えることが、今の時代難しいんじゃないかと思うのは、私だけかな。些細な日常に意味を感じられるなら、そうでもないのかもしれないし、実際些細な日常に意味を感じることこそが現代の幸せだと、そんな風になってきている気はするけど。

自分の好きなものを集めて、自分だけの生活をつくる。たしかに、楽しいよね。私もわかるよ。でも、会葬礼状に目を細めたくなったのは、現代でも、ちょっと前の昭和世代でも、誰もが文句がつけられない立派な人生が綴られていたから。

 

父のことを思う。私は父が苦手だ。いや、苦手を通り越し、私の記憶の中だけの人間にしようとしている。だいぶん前からだ。

まるで陰と陽だ。父と伯父を思い、そう感じた。

 

父の認知症が進行しているみたいだ。

いよいよだ。生真面目で完璧主義な父。いつかはこうなるだろうと思ってた。

祖母も認知症、伯父はパーキンソン病を患っていたと聞いた。みんな、頭だな。

冷静にそう思った。

 

もう家族に煩わされたくない。そう思うどこかで、迷う自分がいる。

こんな自分も捨ててしまいたい。