どの道を行くべきか④

父の認知症は進んでいるらしい。

 

昨日食べたものを覚えていることさえ、ほぼないという。

けど、昔勉強した知識は忘れておらず、テレビでクイズ番組があると、かなりの高確率で正解するんだと。

そっかぁ。と母にこたえる。

私は無感動だ。父のそれは、自分の価値を確認する道具だ。

クイズ番組を楽しんでるならいい。でも父はそうじゃない。昔から私は楽しみたかったのだ。言いたいことを言いたかったのだ。

私が言いたいことを言っても、自分より下だと確信が持てていたころは、きっとまだ父にも余裕があったのだと思う。けど、私が一生懸命勉強をして、人並みに知識を得た時、自分と同じレベルにいる私を感じた時、父は議論に走るようになった。私が答えを言うと、問題に関係あるのかないのか微妙な自分のうんちくをおっぴろげ、議論を始めるようになった。あるときなんかは、私が信用していない様子を察して、論文をたくさん読んだと話し始めた。どこのソースで論文を検索したの?ときいたらインターネットだ、といった。ちゃんちゃらおかしくて、ため息が出た。見え透いた嘘をなぜつくのか。

とにかく、議論についてこれない娘を欲しがったのだろう。議論が出来ないのはダメな奴らしい。価値のある会話は、議論だと。私は「会話」がしたかったのに。

 

私はずっと忖度をしていた。そういう風に父が何かに怯えないように。忖度している自分が傲慢であると感じながら、でも事実、忖度が必要である現実を憎んでいた。