どの道を行くべきか②

思い出すのは、6才のときのこと。

祖父が死んだときだ。

父は私を見下ろし、「愛してる」といった。

 

 

父の父、祖父は長崎の島にいた。町議会議員を長く勤めた人で、賞ももらっていた。酔って崖から落ちたという祖父は、片目がなかった。義眼の気味の悪さに、とうとう私は祖父に最後まで近寄らなかった。

私をみて、私の名前を呼び、遠慮がちに手を伸ばした様子が、まるで絵のような、残像のような、そんなおぼろげな光景が脳裏にある。

もう一つある。

対馬の居住していた家から離れて、坂を上った山の中、古ぼけた木造の小屋があって、小屋というよりは倉庫といったような佇まいで、祖父はそこで一人ビールを飲むのが好きだった。明るい青い、セルリアンブルーのうすぼけた屋根。白さがかすれて木目がむき出しになったぼろぼろの壁。

広い前庭は、雑草が私の背丈より高く、草生していた。小屋まで続く石の道すら、見えない。虫が大嫌いだった私は、泣きながら父にしがみつき、小屋でたどりついて、作務衣の祖父を見ていた。

 

 

全部全部遠い昔の光景。

父は祖父を崇拝していた。

父が愛しているといったとき、私は気味が悪かった。当時はそんな気味悪さを、気味悪さだと自覚していなかった。変なの、そう思って、なかったことにしただけだ。

祖父もまた、公衆の面前で妻に手を挙げるような人だったと聞いたのは、つい最近のことだ。